2006年の9月に、僕の実家は
引越しをしました。姉夫婦が新居を購入したので、母共々そこに移るということで、僕も手伝いに帰りました。僕の実家は鳥取の海の見える片田舎にあり、僕はそこで19年間育ったわけで、自分の家が無くなるということはこんなにも喪失感を感じるものなんだなあと感慨深く思いつつ、重たい荷物をよっこらよっこらトラックに積んでいたものです(その旧我が家は他人へ売ることが決まっていたので、それも切なさに拍車をかけていました)。
それで、
引越しもあらかた片付いて、あとは身の回りのものをトラックでピストン輸送するだけという段階になり、僕は我が家での最後の夜を迎えることになったのです。台所で小僧寿司を食べビールを飲み、風呂に入り、歯を磨き…という一連の日常的作業も、「これが最後なんだ」と思うと、人知れずセンチメンタルになってしまいまうものですね。まあ母なんて生まれてから約50年そこで暮らしてきたのだから、感慨もひとしおだったと思いますが。
最後の夜、布団に入ってCDウォークマンを用意し、さて何を聴こう?実はCDなんてもう新居に運んでしまっていたし、もともと僕の実家にはたいしたCDがなかったので、僕は神戸のアパートから持って帰ってきたCDを聴こうと決めていました。
Dragon Ashの「
陽はまた昇りくりかえす」です。なんかぴったりだと思いませんか?今でこそ
Dragon AshはHip Hopを基調としたミクスチャーをやったり、ドラムンベースを基調としたラテン系の音楽やってますが、「
陽はまた昇りくりかえす」の頃は、都会の洗練されたグッドミュージックの優しい部分をフィーチャーしたような、とてもオリジナリティー溢れる音楽をやっていたんですね。「陽はまた〜」の蒼さ、刹那感、温かさはセンチメンタルな僕を慰めるのにぴったりだと思ったのです。
が、「陽はまた〜」がカバンの中にない。あれ?どうしたことだ?と思って何度も探したがない。どうやら持ち帰るのを忘れたようです。バタバタしながら帰ってきましたしね。そこで困ったなあと首をひねっていると、姉が「あんたのCDが一枚出てきたよ」と言って、昔ながらの小さいCDを持ってきてくれました。それが
SPITZの「
ロビンソン」だったのです。

ケースもなく、埃にまみれた「
ロビンソン」。僕はそれを丁寧に綺麗にし、CDウォークマンにセットしました。馴染んだ布団に寝転ぶ僕に響く「作り上げたよ」。
誰も触れない
二人だけの国
君の手を離さないように
大きな力で
空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る
これは僕が小学校か中学校のときに買ったものです。そのCDの置いてあった場所や今は亡き酔っ払った父がこれを聴いて「歌詞に意味がない!こんなもんに金使うな」と機嫌を損ねたこと、その晩に食べた具が豆腐と糸こんにゃくと白菜だけの水炊きの香りなどなど、ありありと浮かんできました。「
ロビンソン」を聴いてそんなことを思い出しつつ、僕はなぜか笑ってしまったものです。泣きはしませんでしたね。
幼い頃は貧乏なこの家(あるいはそこに住む家族)を底知れず憎んだこともありますし、こんな古い家具今時ないぞってことで、実家を嫌いになっこともありましたが、今となってはその場所を心底求めているという事実。これが滑稽でおかしかったのです。人はこうも自分勝手にその時々の感情に流されて、どこに行き着くともなく生きてるんだなあと思いました。それは
SPITZのあの独特で繊細なメロディーやマサムネさんの細く力強い声が教えてくれたことなのかもしれません。父の言うように歌詞の意味はよくわかりませんが、素敵な世界観ってことはわかりますし、何より「
ロビンソン」はうつろで蒼かった。それで僕の旧実家での最後の夜は十分でした。
ちなみにそのとき以来「
ロビンソン」は聴いていません。「ババロア」や「夜を駆ける」や「春の歌」はよく聞きますけどね。いいです、
SPITZ。
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